梅干し。パート2。
- 健康づくり
- 2021年07月30日
昨日に続き、梅干しのお話し。
「南高梅」の歴史。
1902年、旧南部村(現・みなべ町)の村長の息子であった高田貞楠(さだぐす)さんが「内中梅」の実生苗木を60本購入し、園地に植え、その中に果実が大きく豊産性で紅がさす優良樹を発見し、「高田梅」と名付ける。
1931年、旧南部村(現・みなべ町)の小山貞一が高田貞楠より「高田梅」の穂木を譲り受け、栽培を拡大。
1950年、上南部村で優良品種へ栽培を統一するための「梅優良母樹種選定会」が発足し、5年にわたる調査の結果、37種の候補から「高田梅」を最優良品種と認定。調査に尽力したのが南部高校の教諭竹中勝太郎(調査委員長、後南部川村教育長)であったことから、高田の「高」と「南高」をとって南高梅と名付けられ種苗名称登録される。
「南高梅」は他の梅品種に比べ栽培しやすく豊産性であり、果実品質も優れていたため、その後の梅需要の高まりとともに近隣の田辺市や印南町に加え他県でも栽培が急拡大し、国内1位の栽培面積を誇る梅品種となった。
歴史にある、「小山禎一」さんの農園で作られて南高梅を使った梅干しです。今は5代目が運営されています。その5代目が、和歌山県では、若い人も梅干しを食べるが、他県では、あまり食べない現状があり、何とかして、若い人に「南高梅」のおいしさ、梅干しのおいしさを届けたいと考えて、自らデザインも学ばれ、今回のパッケージを考案されました。
その話を伺い、スタッフに試食をしてもらい、みんなが「美味しい~」という感想をもらい、販売を通じて、5代目の思いに応えたいと思いました。
凄く好評です!!!
一般の方も、ぜひ、2階フロントで販売していますので、お買い求めください!!
お盆休みにちょっとしたお土産に。
お友達へのちょっとしたプレゼントに。
最適だともおもいます!!
「南高梅」の歴史。
1902年、旧南部村(現・みなべ町)の村長の息子であった高田貞楠(さだぐす)さんが「内中梅」の実生苗木を60本購入し、園地に植え、その中に果実が大きく豊産性で紅がさす優良樹を発見し、「高田梅」と名付ける。
1931年、旧南部村(現・みなべ町)の小山貞一が高田貞楠より「高田梅」の穂木を譲り受け、栽培を拡大。
1950年、上南部村で優良品種へ栽培を統一するための「梅優良母樹種選定会」が発足し、5年にわたる調査の結果、37種の候補から「高田梅」を最優良品種と認定。調査に尽力したのが南部高校の教諭竹中勝太郎(調査委員長、後南部川村教育長)であったことから、高田の「高」と「南高」をとって南高梅と名付けられ種苗名称登録される。
「南高梅」は他の梅品種に比べ栽培しやすく豊産性であり、果実品質も優れていたため、その後の梅需要の高まりとともに近隣の田辺市や印南町に加え他県でも栽培が急拡大し、国内1位の栽培面積を誇る梅品種となった。
歴史にある、「小山禎一」さんの農園で作られて南高梅を使った梅干しです。今は5代目が運営されています。その5代目が、和歌山県では、若い人も梅干しを食べるが、他県では、あまり食べない現状があり、何とかして、若い人に「南高梅」のおいしさ、梅干しのおいしさを届けたいと考えて、自らデザインも学ばれ、今回のパッケージを考案されました。
その話を伺い、スタッフに試食をしてもらい、みんなが「美味しい~」という感想をもらい、販売を通じて、5代目の思いに応えたいと思いました。
凄く好評です!!!
一般の方も、ぜひ、2階フロントで販売していますので、お買い求めください!!
お盆休みにちょっとしたお土産に。
お友達へのちょっとしたプレゼントに。
最適だともおもいます!!